賢い生き方とはなんでしょう?
ずる賢く生きる事でしょうか?
強いものに媚びを売り、弱いものをイジメる事でしょうか?
一生懸命頑張っているのに報われないと、
馬鹿らしく感じて、こんなことも言いたくなってしまいますよね。
賢い生き方とは幸せであることです。
幸せな人生の達人!と言えば孤高な人。
ちなみに、孤高とは一人ぼっちのことではありませんよ。
孤高と一匹狼と孤独は、別物です。
1・孤高に生きるとはどういうことか?
2・悲観的な発想との付き合い方
3・賢く生きるとは自分の心を見ること
4・劣等感は悪ではない
の順にお伝えしていきます。
それでは最初に、孤高に生きるとはどういうことか見ていきましょう。
1・孤高に生きるとはどういうことか?
孤高に生きるとは、取り敢えず大枠で捉えるとこんな感じです。
本当にザックリとですけど、大枠で捉えると感じ。
- 過去に囚われないで執着しないこと。
- 何をするににしても、今に楽しみを見出すこと。
- 常識に囚われたり、他人と比較しないこと。
- 体面なんか気にせず、立場に依存しないこと。
要するに、自分に心に素直になることです。
だけど、依存や執着はしない。
矛盾している様に聞こえるかも知れませんが、少しずつ具体的にお伝えしていきます。
それでは、この4つを踏まえて詳しく見ていきましょう。
2・悲観的な発想との付き合い方
「あ~だったら、こ~だったら」と悲観するんじゃなく、
過去は経験として、分析出来ると理想的でしょう。
過去の延長線上に、未来が決まっていると考えないということですね。
たとえ今が辛かったとしても、過去を美化できる未来にすればいいんです。
それには、今を楽しんだり、最善を尽くす必要があります。
過去の延長線上、つまり自分に出来る事しかしないと、
未来も変わらず、よって、その時の今も変わらないのです。
自分の限界、可能性といった上限を、自ら決めてしまっては面白くありません。
それに、悲観的な発想は悪いことではありませんよ。
目の付け所を変えればいいだけです。
悲観的な発送に目を向けるのでなく、直感を信じましょう。
その直感を肯定するには、根拠や裏付けが必要な時もあります。
そしたら、悲観的な発想を分析したらいいんですね。
そのための、経験という過去があります。
失敗は成功の母!
折角、今迄の経験というサンプルがあるんですから。
孤高な人は、なんだかんだ言って直感を信じます。
思考が深い分、悲観的な発想も生まれやすいでしょう。
ですが、ちゃんと分析して行動に移すんですね。
しかも、いざ行動に移すとなると、結構大胆だったりします。
孤高な人の自信の裏には、鋭い直感と精密な分析があるんです。
それでは、納得して頂けるように、具体的に説明していきましょう。
その前に、今回のテーマに合った動画を見つけました。
チベット仏教の最高指導者、ダマイ、ラマの名言です。
3・賢く生きるとは自分の心を見ること
自分の問題は、自分でしか解決できません。
自分の心に向き合わなくては、根本的な解決や、成長には繋がらないのです。
立場や上下関係などで、理不尽に他人を従わせた所で、
その付けは巡り巡って自分に返ってくるし、誰も得はしないし、虚しいものです。
「隣の芝生は青く見える」ということわざはご存知ですか?
覚えやすいことわざなので、ご存知の方が殆どでしょう。
一応説明しておくと、自分の家の芝生より、
隣の家の芝生の方が青々としていて良く見える、羨ましくなっちゃう心理です。
このことわざはとても分かり易く、自分の心を見ているのでなく、
世の中や常識、他人に目がいっているということですね。
それでは話を戻します。
未来は誰にでも分からないものなので、過去や今について考えてみましょう。
自分の心に素直になり、向き合うということは、代わりに、誰かがしてくれることではありません。
自分自身で考えるしかありません。
行動を起こせるのも自分自身です。
これを僕は、使命寄りの考え方だと思っています。
それでは、使命の逆とはなんでしょう?
欲望ではないでしょうか。
今と過去で例えるならば、自分以外の事と比較することが欲望寄りの考え方です。
最初にお伝えした「あ~だったら、こ~だったら」といった発想は、
何かと比べるからそうなるんです。
自らに向けた使命寄りな考えと、外に向けた欲望寄りの考え方とでは、
人生と幸せに与える影響は、真逆になります。
今と過去すら、全く違うものになるんですよ。
人は成長すると、価値観が変わります。
何度も価値観が変わっている人ほど、成長している証です。
そして人は成長すると幸福度も上がります。
でもそれに気付けるのは、自分の心を見ている使命寄りの人だけです。
欲望に生きて他者と比較したり、優劣に拘れば、当然自分の心は見れなくなります。
そうなると、自分のことを分かって貰えないことで他人を攻撃したり、
否定したり屈服させようとしてしまいます。
体面に拘り、優越感に浸ろうともします。
「隣の芝生は青く見える」ということわざの、羨ましくなっちゃう心理と同じですね。
ですが、これでは自分の気持ちなんて分からないし、
どこまで行こうと隣の芝生は青く見え、いつもエネルギー切れで苦しいのです。
ですが、今のところで言うと、僕は反感を買っているかも知れません。
そんなことはない!
お金持ちになれれば、容姿が良ければ、心に余裕が持てるんだ。
それが幸せで、それが現実だよ・・・って。
その人の人生は、その人の人生なので、否定もしないし、それでいいと思うんですが、
はたして本当にそうなんでしょうか?
もっと具体的にご説明します。
4・劣等感は悪ではない
劣等感には、マイナスイメージをお持ちでしょう。
ですが、劣等感は悪ではないんですよ。
何事も、裏と表があります。
劣等感を裏とするなら、表は何でしょうか?
ある人から、こんな話を聞いたことがあります。
よく耳にする話かもしれませんが・・・
成功してお金持ちになった人がいました。
その人は、もう自分自身で動く必要がなくなったので、南の島でバカンス三昧。
羨まく思えるかも知れませんが、どんな贅沢も慣れてしまえば飽きが来るものです。
物足りなくなって、つまらなくなったその人は、仕事に復帰する
という話です。
この話を逆に例えるならば、どんな辛い現状にも人は慣れてしまうとも言えますね。
でもこれって、不思議な話じゃないというか、むしろ当然なんですね。
人間には恒常性(こうじょうせい)というものがあるので。
恒常性とは簡単にいうと、習慣とかの慣れる機能。
一定の状態を保とうとする機能です。
まぁ、恒常性の話はどうでもいいんですが、
さっきのお金持ちになった人の話で、何が言いたかったのかというと、
何故その人は、お金持ちになっても満足しなかったかということ。
何故こんなことが起きるのかというと、その正体は誰もが持っている劣等感が原因です。
慣れてしまい、飽きが来たのは恒常性が原因ですが、仕事に復帰したのは劣等感が原因なんですね。
劣等感というと、聞こえが悪いかも知れません。
では劣等感は、何から生まれるかご存知ですか?
これも誰もが持っている物ですが、
劣等感は成長意欲から生まれるんです。
学びたい意欲、成長したい意欲、幸せになる意欲には際限がないんですよ。
人類の数々の発明も、精神的成長も、劣等感のお陰です。
だから悪ではないし、向き合った方が良いんですね。
賢く生きるとは、幸せであること。
孤高に生きるとは、心に向き合うことです。
孤高とは何か?
孤立することではないんですよ。
孤独と一匹狼との違いについてはこちらからどうぞ。
孤高な人の仕事面のメリットに関してはこちらからです。
賢い生き方とは孤高であれ~まとめ~
過去も未来も、今この瞬間でさえ、その人自身の捉え方次第です。
同じ出来事も、使命寄りか欲望寄りかの考え方次第で、現実が変わってきます。
悲観的な発想は、分析するためにあります。
絶望するために、あるではありません。
劣等感は悪ではないので、向き合った方が良いんですよ。
劣等感という言葉が、マイナスをイメージするのなら、
「ヤベ~成長意欲がハンパね~」って言い換えれば良いんですね。
それと、腕利きのギャンブラーや宝くじの当選者は、
人生が狂うことが多いという話も聞いたことがあります。
心が見合ってない人が、お金を持ってしまった末路でしょう。
さらにこんな考え方も出来ますよ。
石コレクターは幸せです。
だって、大好きな石を集めることが出来るから。
あなたは石コレクターを、羨ましいと思えますか?